<場所・地名>
注)地名の「☆」マークは「斬羅鬼」オリジナルの架空の地名です。また、各地名の扱い・来歴にも「斬羅鬼」オリジナルの解釈・解説が付されておりますのでご注意下さい。
◆東(あずま)
東国全域を指す当世の語。一般には関東平野以東を指す。平安の当時、そこは「辺境」や「定まらぬ荒武士(あらもののふ)の地」といった認識であった。
◆宇治川(うじがわ)
琵琶湖から流れ出る瀬田川の、山城の盆地に出てからの下流を指す。木津川と合流する。劇中では、華艶丸が、伏見・晴間雨(はれまさめ)に百鬼夜行がいたとしたらここへ身を投げて逃げるとうそぶいた。
◆蝦夷(えみし)
現在の東北地方および北海道のこと。その字義は“異民族の跋扈する辺境”の意。これを平定するために征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)の位が制定された。
◆上毛野 群馬(かみつけの くるま)
麻奈緒が足加賀衆の本地と語った地名。上毛野(かみつけの)は上野(こうずけ)の古名。群馬(くるま)は上野の郡の一つ(現在の群馬県であることは字から明らか)。古代には関東平野の北西部を毛野(けぬ)と呼び、渡良瀬川を境に上下に分かって西部を上毛野とした。律令後は「上野国」とする。八一一年には上国から大国となり、八二六年以降は上総(かずさ。古名かみつふさ)や常陸(ひたち)と並んで親王がこの国守の任を与った。なお、史実における足利氏は下野(しもつけ)足利の出身である。
◆高陽院(かやのいん)
中御門(なかみかど)西洞院(にしのとい)にある建物。序章で牛鬼が出現したと報告された場所。二条に当たる。元は平安京の始祖である桓武天皇の皇子のために建造された邸宅であった。その後は所有者を様々に変えた里内裏の一つである。このように由緒正しき場所に牛鬼ありとされ影郎はこの事件を「豪気」と評したのである。
◆唐(から・とう)
中国のこと。奈良時代より国交があり、遣唐使は舒明二年に始まり第十四次遣唐大使・菅原道真の意見により寛平六年(八九四)に廃止されるまで続いた。物語当時は中国の古名となっているが、以降、中国から渡来の物を「唐物(からもの)」と呼ぶなど後までその名は残った。
◆河内(かわち)
現在の大阪のこと。畿内五国の一つ。劇中ではかつて静の仕えた蒔平兼正が元はここを任地とする守護の兵士(つわもの)であった。
◆鞍馬(くらま)
「天白(てんぱく)」すなわち「天狗」が住むと言われる霊山。都の東に位置する。検非異使の言うには山全体が外界から中の者を隠す呪が施された秘山であるという。
◆護持不動堂(ごじふどうどう)☆
蒔平兼正の進言により山科・三ツ井寺(みついでら)境内に建立された。比叡山・天台宗に属す。
◆西国(さいごく)
一般的には河内(かわち。大阪)よりも西の地方を指す。検非異使佐・平神子坊が眞秀路澪の命を受けて手下を率いて派遣された場所だが、実際に西国のどこへ遣られたのかは不詳。
◆四条 宇多小路(しじょう うたのこうじ)
白風の生家、雅唯の屋敷の場所。四条と宇多小路の交差点付近を指す言葉。
◆朱雀院(すざくいん)
三条の南、四条四坊に位置した後院(ごいん)。嵯峨天皇以後、歴代の天皇の退位後の隠居所であった。
◆宣義坊 菖蒲小路(せんぎぼう あやめこうじ)
五条の木辻大路(きつじのおおじ)から一筋だけ西にそれた場所。序章で雪之丞が疑惧者(対象者が何であったかは不明)を斬った場所。内裏の南西方向に当たる。
◆仙遊寺(せんゆうじ)
現在の泉湧寺(せんゆうじ)。九条大路を東進し賀茂川を渡った東山の山麓にある。当時の都を出てすぐ南東にあり、伏見とは目と鼻の先。北は清水寺や愛宕寺に近く、都の民の墓所であった。後に泉湧寺として成立し、皇室の菩提寺ともなった。真言宗。劇中ではここに魑魅魍魎が大挙し検非異使にも討伐の命が下った。
◆談天門(だんてんもん)
内裏の南西に位置する門。わきに左右の馬寮(めりょう)がある。
◆千代原(ちよはら)
五条を西へ外れる都の口の一つ、通例は「千代原口」と称する。これを抜けて街道は日本海へ抜ける。古来は竹林の茂る土地で、京都最古の大社の一つ・松尾の大社にも程近い。日本海側の舞鶴等の朝鮮半島との渡来地と都をつなぐ交通の要衝であり、現在の地名を桂(かつら)と言う(「桂」は樹木の名前だが、竹取物語他で「月」とされる「蓬莱」の地に生えるとされる植物はこれである。さらに松尾大社の書庫には竹取物語の最古本があるとされるが非公開)。この地には古墳が多く存在し、現在「天皇の杜古墳」とされるものは古墳時代前期(四世紀)に築造された京都市内最大級前方後円墳、桂川右岸を支配していた豪族の墳墓と推定される。同地には西芳寺古墳群や車塚古墳などが散在する。地名に現在も「御陵(ごりょう)」「溝浦(みぞうら。古墳の周囲に巡らされた壕を意味する)」等が残る通り、この地は京都でも最古の古墳地帯である。脚本家おおやぎの出身地であるのでよく知り(爆)、古墳はおおやぎの遊び場所であった。
◆二条 東洞院(にじょう ひがしのとい)
『白馬の怪』当時に蒔平兼正があったとされる場所。静はこの斜向かいに邸を与えられ住んだ(かつては勘解由使(かんげゆし)の邸宅であったという)。二条通りと東洞院通りの交差点付近を指し、内裏の南東、左京に当たる。
◆西山(にしやま)
左京院静の住む古寺のある場所。都の西部に広がる緩やかな竹林の丘陵地帯を指す。北端は嵯峨の嵐山と小倉山を経て愛宕へ連なり、北西の千代原には日本海・舞鶴へ抜ける街道が整備され、南西は河内(かわち。大阪)へ通じる淀川畔の山崎まで連なる。脚本家おおやぎが現在住む土地でもある(笑)。
◆比叡(ひえい)
都の北東(鬼門の方角)に位置する鎮護の霊山「比叡山」のこと、近江国との国境を成す。ここを総本山とする天台宗は仏教の日本八宗・中国十三宗の一つ。法華経を根本とする。天台宗は奈良時代の天平勝宝六年に唐僧・鑑真(がんじん)が伝え、延暦二三年に最澄が唐へ渡り翌年帰朝して比叡山に延暦寺を建立、ここに日本天台宗を開創した。
◆伏見(ふしみ)
都の南西に広がる宇治川北瀕の丘陵地帯。当世は町のなく貴族らの別荘地として知られた。劇中では晴間雨(はれまさめ)社がここに鎮座する。都の東の玄関が山科であるとするならば伏見はその一寸先である。
◆松尾(まつお)
都の西、四条の最西に行き着く桂川河畔の地名。松尾大社は賀茂社と並び都の最も重要な鎮護の要。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。大山咋神は近江の比叡山と山城の松尾山に鎮座し、いずれも鳴鏑神(なりかぶらのかみ。鳴鏑とは戦の象徴的意味)と言われる。また水の神の住む場でもあり、現在も特に酒造者に崇拝される。
◆明王堂(みょうおうどう)
比叡山の延暦寺境内に位置する無道寺(むどうじ)明王堂のこと。天台宗。相応和尚(そうおうかしょう。※実在)によって貞観七年(八六五)に建立された。回峰行者の本拠地である。
◆山城(やましろ)
現在の京都。都の置かれた国の名。北方と東西を山に囲まれた盆地で、南に淀川の水運を有する。この盆地のおおよそ中心部に設営された平安京は桓武天皇により平城京(奈良。当世名は大和(やまと))より遷都された。
◆山代(やましろ)
山城国(やましろのくに)の古名。「山背」とも表記した。当時のみやこの場所である。
◆淀(よど)
都の南部、伏見の地名。市内を流れる桂川・加茂川・宇治川の三川の合流地。この淀川沿いの低湿地は淀川水運における京都の外港として古代より繁栄した。劇中では左京院静の出身地であると語られる。
◆時知らずの辻(ときしらずのつじ)☆
都のとある場所であると予想はされるが詳細は不明。氷路が検非異使たちと出会った場所。雪之丞によると「忘れるべき場所」「みやこから“消えた”場所」であり『夢幻回廊』であるという。朽ちた大門とその先に無辺の荒野の広がる暗い土地である。
<人名>
注)人名の「※」マークは実在の人物。その他は「斬羅鬼」オリジナルの架空の人物です
◆荒妙 孤月(あらたえ こげつ)
麻奈緒の側近の一人。細身だが着物の下に鉄(くろがね)の下襲(したがさね)を着けた剣客。華艶丸に斬られた。「荒妙」はおおよそ呼び名で“技は妙にして性分は荒ぶる”といった程度の意味かと思われ、自ら名乗る名は「孤月」であろうと思われる。
◆一条天皇(いちじょうてんのう)※
物語現在の帝。懐仁親王。父は円融天皇(えんゆう)、母は藤原詮子(せんし・あきこ)。外祖父は藤原兼家、皇后には藤原定子・藤原彰子を娶り、このそれぞれの父親(つまりは皇后父)に藤原道隆と藤原道長を持つ。生没980−1011、在位986−1011。
◆新 定元(あたら の さだもと)
大蔵大輔(おおくらのたいふ)正五位下。白風の母方の祖父。豊かな家柄であるらしい。卑しい出であるらしく、娘を先帝の大叔父・雅唯の嫁に据えて名分を狙う。
◆新定元の女(あたらのさだもとのむすめ)
定元の娘、白風の母親。名は不詳。美人であるが厳しい人柄であると白風の述べる。家中では夫・雅唯を軽んじる。中務宮・明怜親王とつながりを持つ。
◆円法(えんほう・えんぽう)
比叡山・延暦寺(えんりゃくじ)の山内にある明王堂(みょうおうどう)を預かる阿闍梨(あじゃり)。左京院静を見出し尼とした人物。十歳で諸国を旅して修業、修法(ずほう)に通じ、二十歳で伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受け阿闍梨となった。当時の帝・花山天皇に寵愛された。現世は不平等であるとし、仏の教えにひたすら帰依することのみが人の世を平等ならしめると説く。一種の革新主義者でもある。
◆影無(かげなし)
特定の人名ではなく、影のない人あるいは生き物の総称。それが具体的に何であるかは不明であるが、おおよそ実在しない者か物怪(もののけ)の類ではあるまいか。
◆花山天皇(かさんてんのう)※
一条天皇の前の帝。花山院(かさんいん)。師貞親王(もろさだ)。父は冷泉天皇(れいぜい)、母は藤原懐子(かいし)。外祖父は藤原伊尹(これただ)。娶ることなく出家し譲位。生没968−1008、在位984−986(わずか三年足らず)。白風の父・雅唯はこの帝の大叔父。
◆春日 佐尚(かすが の すけなお)
御許人(おもとひと。中務省に籍を置く侍従職)従五位下。白風の伯父で、雅唯と冷泉帝のさらに弟に当たる。謀殺されたとの噂があるが詳細は不明。
◆風語姫(かぜかたるのひめ)
源雅唯の娘・白風の君に付けられた渾名。幼い時より誰もいない縁側で宙空を見詰めて談笑する様を奇怪として付けられた。
◆清衣 定水(きよい の さだみ)
左近衛督(さこのえのかみ)・近衛大将(さこのえのたいしょう)従三位。飛騨守(ひだのかみ)。兼正の上司に当たる。兼正の父・兼滋の友。兼正を招聘し衛士(えじ)とし、その後、三加見一一の病死によって少将から中将に昇進。さらに立華昌幸の失脚に伴って大将に昇進し、後任に兼正を中将に推した。熱心な仏徒であるという。
◆枯木場 顕成(こきば の ありなり)
高陽院に出現した牛鬼の事件の疑惧者として翼黒の口から報告された人物。三条室町に住むということ以外は不明。
◆西京待緒比丘尼(さいきょうまつおのびくに)
左京院静のかつての呼び名。蒔平兼正による命名。西京(さいきょう・にしのきょう)は兼正や静の住んだ街であり、『待緒』は兼正の愛した西山の麓に位置する松尾の地名と『待つ緒』(切れぬことを願いていつか互いに結ぼれることを夢見る)を掛けた言葉か。松尾の地には松尾大社がある(松尾を参照)。
◆済幻(さいげん)
比叡山・天台宗の大僧都(だいそうず)。仙遊寺に魑魅魍魎の大挙がある折、帝の勅命を受けて山を下りて同地へ討伐に向かった。影郎の言をとると相当上位の密教僧である。
◆最澄(さいちょう)※
日本天台宗の開祖。姓没は七六七〜八二二。近江出身。真言宗開祖・空海とともに延暦二三年に入唐し、道僉、行満について学び、また僊然から牛頭禅(ごずぜん)を伝えられた。勅諡は伝教大師。
◆垂仁天皇(すいにんてんのう)※
第十一代天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命。崇神天皇の子であると言われるが、一説には丹波系王国の王にして、大和王国を併合し継いだと言われる。母は御間城姫(みまさひめ)、その父・大彦命(おおひこのみこと)は当時を代表する武人の一人。狭穂姫命(さほびめのみこと)と日葉酢媛命(ひばすめひめのみこと)を皇后とし、それぞれの父は彦坐王(ひこいますのみこと)と丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)。生没前69−後70、在位前29−後70。殉死を禁止し、埴輪を起源したと伝承される。着目すべきはその治政が九十九年に及んだことではあるまいか。
◆崇神天皇(すじんてんのう)※
第十代天皇。御間城入彦五十瓊殖命(みまきいりひこいにえのみこと)。父は開化天皇(かいかてんのう)、母は伊香色謎命(いかがしこめのみこと)。外祖父は大綜麻杵命(おおへそきのみこと)。御間城姫(みまさひめ)を娶り、その父は大彦命(おおひこのみこと)。生没前148−前30、在位前97−前30。大物主(おおものぬし)神をはじめとする諸々の国津神(くにつかみ)を祭り、伊勢神宮の創始に関係したとされる。天皇と同一視された天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して宮廷の外に移し、神人分離の基を作った。豊鍬入姫は伊勢神宮の初代斎宮(さいぐう)である。この天皇を以ってして、神人同一の思想から、帝は神を祭りこの化身として治めるとの思想への転換と見る(ただし実際にはこのような王権の成立はもっと後であり、崇神を以ってしてこの転換とするのは一種の伝説的なものではないか)。
◆清 少納言(せい しょうなごん)※
『枕草子』の作者として有名な女官。当時の紫式部とは好敵手の関係にあったと言われる。物語当時に名声を博した才媛である。
◆曹庵(そうあん)
水無月中将こと蒔平兼正が出家してこのように号した。曹庵を名乗って西山に勅願寺建立の任に中った。
◆廉 幹治(ただす の みきなお)
内蔵頭(くどうのとう・くろうどのかしら)正五位上。晴間雨(はれまさめ)事件により失脚して職を失った。
◆立華 昌幸(たちなば の まさゆき)
かつての左近衛督(さこのえのかみ)・左近衛大将(さこのえのたいしょう)従三位。伊豆守(いずのかみ)。左馬御監(さまのごげん)を兼任したため『節会の怪』により失脚し須磨(すま)へ流刑となった。
◆橘 頼柾(たちばな の よりまさ)
刑部少丞(ぎょうぶのしょうじょう)。序章で高陽院の牛鬼に当てられた犠牲者。牛鬼に出会い、瘴気に当てられて病に伏した。
◆二条天皇(にじょうてんのう)
一条天皇が一条院にて急死した直後に即位した天皇。二条に同様の寺を結んだことから後世において二条天皇と呼ばれる。劇中では氷路が下々界(げげかい)に堕とされた直後に即位した。
◆赤 少納言(はにゅう の しょうなごん)
晴間雨(はれまさめ)の一件の直後にその職を解かれた当時の少納言。本名は不詳。源秀興の突然の死を聞くと「それかあらぬか(あのことであろうかなかろうか)」と繰り返し自宅に篭って念仏を唱えて過ごしたが四日後に死亡した。
◆藤原 道永(ふじわら の みちなが)
一条天皇の関白であった人物。一条天皇の崩御と同時に病に倒れ、二条天皇の即位の折には佐渡に流されて同地にて病死。
◆蒔平 兼正(まきひら の かねまさ)
左近衛佐(さこのえのすけ)・左近衛中将(さこのえのちゅうじょう)従四位下。かつて左京院静を召す。清衣定水の推挙により近衛府の近衛(このえ)となり、その後は将曹(しょうそう)を経て将監(しょうげん)に昇進、清衣定水の大将昇進に伴い後任として中将の職へ。『節会の怪』当時は将監・正六位上。武門の一族で、元は河内(かわち)警護職。比叡山の円法と懇意。仏門に帰依し、通称『水無月中将』は東山に自ら結んだ水無月庵の名から。静の言をして「剛直剛毅」「職(そく)に実々(げにげに)しく、庶民と現世(うつつよ)にもまた通じ、忠実(まめ)やかなる」者であったらしい。
◆蒔平 兼滋(まきひら の かねしげ)
兼正の父。河内(かわち)守護代。清衣定水と親交があった。
◆松濱 六合巳(まつはま の くにみ)
刑部卿(ぎょうぶのかみ)正四位下。源由定(つまりは華艶丸)と酌み交す仲であるようだが詳細は不明。「酒(ささ)なしでは貝よ」と華艶丸。生真面目な性格だが酒に酔うと饒舌らしい。
◆麻保良組(まほるぐみ)
検非異使督(けびいしのかみ)眞秀路澪が操る詳細は謎の手勢。「あの気色悪い式神の集い」とは華艶丸談。
◆丸井 満幌(まろい の みつあきら)
式部大夫(しきぶのたいふ)正五位下。晴間雨(はれまさめ)の一件の直後に赤少納言と共にその職を解かれてお家を取り下げられた時の侍読(じとう。天皇へ読書を教授する役)である。
◆三加見 一一(みかみ の ひとはじめ)
かつての左近衛中将(さこのえのちゅうじょう)従四位下。病死によりその職は清衣定水へと継がれた。
◆源 清衡(みなもと の きよひら)
左衛門督(さえものかみ)従四位下。左衛門佐・源由定(華艶丸)の上司に当たる。酒は飲めぬらしい。
◆源 秀興(みなもと の ひでおき)
中務大録(なかつかさのだいさかん)正七位上。晴間雨(はれまさめ)事件の直後に職を解かれて生国の丹波へ戻る途中、千代原にて牛車の中に蝗虫(はたはた。バッタ)が飛び込むと、驚いて死んでしまった。
◆源 雅唯(みなもと の まさただ)
弾正尹(だんじょういん、ただすつかさのかみ)従三位。白風の父親。先代の帝・花山天皇(花山院)の大叔父、すなわち冷泉天皇の兄で、村上天皇と藤原安子の子であるが、これはフィクション。弟・冷泉帝は1011年没で物語現在も存命。宮中では『腑抜け』と渾名される。奇異の目に晒される白風に唯一優しく、娘を励まし続けた。
◆紫式部(むらさきしきぶ)※
『源氏物語』『紫式部日記』等の作者として有名な女官。物語当時の宮廷人である。
◆明怜親王(めいれいしんのう)
中務卿(なかつかさのかみ)正四位上、通称「中務宮(なかつかさのみや)」。一条天皇の長子。四十二歳。三度結婚したが子はない。無能でありなおかつ男としても不能ではないかと言わたために『萎(しぼ)みたる梅、鴬と木菟(ずく)の別も付かんや』と言われ、実父・一条天皇に疎まれた。
◆八咫 吾郎佐(やた の ごろうざ)
麻奈緒の側近。剛力の巨漢。晴間雨(はれまさめ)社へやって来た検非異使を迎え撃ったが、華艶丸によって斬られた。その後の麻奈緒の驚きを見ると相当の使い手であったようだが、結局は容易く斬殺された。なお「八咫」とは親指と中指を広げた時の長さである「咫(あた)」の八倍という意味で、当時はとても大きいという意味で使われた。孤月と同様「八咫」は姓でなく呼び名であったろう。
◆冷泉天皇(れいぜいてんのう)※
一条天皇の二代前の帝。花山天皇と三条天皇の父。憲平親王(のりひら)。父は村上天皇(むらかみ)、母は藤原安子(あんし・やすこ)。外祖父は藤原師輔(もろすけ)。昌子内親王(しょうこ)を娶り、この父は朱雀天皇(すざく)。生没950−1011、在位967−969。ただ二年と少しの在位ではあったが、実に五十年近く独自の権勢を振るい続けた異色の帝。この頃の歴代天皇は、順に、冷泉天皇(父・村上天皇)、円融天皇(えんゆう。父・村上天皇)、花山天皇(かさん。父・冷泉天皇)、一条天皇(いちじょう。父・円融天皇)つまり、村上帝の子、村上帝の子、村上帝の孫、村上帝の孫と続く。その後は三条天皇(ごさんじょう。父・冷泉天皇)、後一条天皇(ごいちじょう。父・一条天皇)、後朱雀天皇(ごすざく。父・一条天皇)、後冷泉天皇(ごれいぜい。父・後朱雀天皇)、後三条天皇(ごさんじょう。父・後朱雀天皇)。 |