『斬羅鬼 -ZARAKI-』には様々に専門用語や造語、時代の言葉や表現が出て来ます。
講座の第三回では、その中でも特に解説を必要とするであろう50をピックアップして紹介・解説します。
ゲームをプレイ中にこういった脚注を参照できるようなシステムを開発したかったのですが今回はかないませんでした。
なかなかプレイ中には参照できませんが、プレイ後やあるいはプレイ前に気になった語句をチェックしてみて下さい。
『斬羅鬼 -ZARAKI-』の世界観の理解に少しでも役に立てて頂ければ幸いです。



箇所
  解説


序章 華艶丸「はんっ。細かい男だ」
   華艶丸が五条の木辻大路(きつじのおおじ)に出かけたのかと問うたのに対し、雪之丞は木辻より一筋だけ西の菖蒲小路(あやめのこうじ)に出かけていたのだと訂正した。五条木辻は内裏の南西。

序章 「謹みて請ふ」
 〜 
「万歳 万歳 万歳 万歳」
   927年(延長5年)成立「延喜式」より、「献横刀時(たちをたてまつるとき)の呪(しゅ)」である。全文は以下の通り。

 謹(つつし)みて請(こ)ふ
 皇(わう)天上帝(てんじょうたい) 三極(さんごく)大君(だいくん) 日月(にちがつ)星辰(しょうしん) 八方(はちほう)諸神(しょじん) 司命(しみょう)司籍(しじゃく) 左(ひだり)は東王父(とうおうぶ) 右(みぎ)は西王母(さいおうも) 五方(ごほう)五帝(ごたい) 四時(しじ)四氣(しけ) 捧(ささ)ぐるに祿人(ろくじん)を以(もっ)てし 禍災(かさい)を除(のぞ)かむことを請(こ)ふ
 捧(ささ)ぐるに金刀(こんとう)を以(もっ)てし 帝祚(たいそ)を延(の)べむことを請(こ)ふ
 呪(しゅ)に曰(い)はく 東(ひんがし)は扶桑(ふそう)に至(いた)り 西(にし)は虞淵(ぐえん)に至(いた)り 南(みなみ)は炎光(えんこう)に至(いた)り 北(きた)は弱水(にゃくすい)に至(いた)れり 千城(せんじょう)百國(ひゃくこく) 精治(しょうじ)万歳(ばんぜい) 万歳(ばんぜい) 万歳(ばんぜい)

風語姫 「世の人、皇子の懸想を指し、萎みたる梅、鴬と木菟の別も付かんや、と言う」
  木菟(ずく。古くは「つく」)とは猛禽類みみずくのことであるが、男性の生殖器すなわち陰茎を指す隠語でもある。

風語姫 雪之丞「その諱(いみな)未だ知らずとは言うまい」
   諱(いみな)とは本名のこと。真の名にはその人の根源なる力が宿ると信じられており、呪術的な受難を危惧することから通常はまず周囲に明かすことはない。通い合う男女の間でも相当に仲が深まらぬ限りは互いに本名を明かしはしなかった。殿上人を本名で呼んでもよいのは、家族を除くと、実質、この世で帝のみだということになる。

風語姫 白風「春日御許人(かすがのおもとひと)の伯父上が謀殺されたというのは真でしょうかっ?」
   御許人(おもとひと)とは中務省に籍を置く侍従職を言い、その官位は従五位下。帝の側近としてその決断を補い時には讒言もした。また同時に侍衛の職でもあり帯剣していた。しかし帝の周囲の用をなす蔵人所(くろうどどころ)が盛んとなると、天皇の側近としての職掌を徐々に奪われていったとされる。

風語姫 華艶丸「はっ。もうよい年高人(としだかびと)ではないか。爺(じじい)が色気付きおって」
   この時代の人間の平均寿命は未だ明確には分かっていない。だが、庶民に比べて貴族がずいぶん長命であったことだけは確かのようである。平均寿命が低いとされる最大の理由は乳幼児の死亡率が高かったためであり、成人男子が五十、六十まで生きることはそれほど珍しいことでもなかったようだ。だが本編の中務宮の四十二という年齢は当時では十分に高齢に入り、現代に置き換えると初老に相当する。

風語姫 眉一つ動かさぬとは、この雪之丞の顔である。
白風がそっと瞼(まぶた)を開いて見ると、相も変わらず青白い陶磁の男肌。
白風「あな・・・!」
   雪之丞は女を惑わせる類まれな美貌の持ち主であるが、このような容貌(かたち)も呪(しゅ)の一種であるといえよう。当の白風は雪之丞の面(おもて)を見ては惑乱されるということを本能的に感じ取っていたのであろう。

風語姫 裳着(もぎ)すら済ませぬ白風を、今まさに雪之丞は『をんな』と言い、言葉の通りに何とも言えぬ――
  「裳着(もぎ)」とは公家の女子が成長して初めて裳(も)を着ける儀式である。未婚の女子が年頃になると吉日を選んで行い、腰結(こしゆい)に裳の腰を結んでもらう。腰結には有徳(うとく)の人が選ばれた。裳着を済ませると女子は成人と見なされた。

風語姫 影郎「艶(あで)なり。妖(およずれ)なり」
   当時の「艶(あで)」つまり「艶(なま)めかし」とは、若々しい、瑞々(みずみず)しいという意味であり、色っぽいという意味はない。影郎はここでは「若々しく実に美しい。なのに何と妖しい様か」と唸ったのである。

風語姫 影郎「くはぁ、はぁはぁ! 酖毒司(ちんどくのつかさ)とでも呼ばれようか」
   宮内に酖毒司(ちんどくのつかさ)などいう省庁はない。影郎はしばしば「政事に真に必要なのは毒である」とし、そんな省庁でも置けば長官にでもなってやるのにとうそぶくわけである。酖毒の酖(ちん)とはとめどなく酒を飲んで溺れる様を言い、鴆(ちん。同音)という鳥の羽にある猛毒を水に浸して飲ませる鴆毒(ちんどく)とをかけた言葉。影郎は鴆毒の話が好きだ。

風語姫 影郎「源雅唯(みなもとまさただ)が娘、白風! その試みすべからず」
華艶丸「縛だとっ?」
   ここで影郎が口にしたのは白風の本名、つまり諱(いみな)である。名前には力があり、諱を明かされた上で命じられる呪(しゅ)には易々と抗えるものではない。影郎が姫のことを執拗に「白風」「白風」と呼ぶのも、この種の呪である。言霊(ことだま)とも言う。

風語姫 影郎「弥日異(いやひけ)!」
   弥日異(いやひけ)とは、一日ごとに状況や様子が変わることを言う。「日に日に異(け)なる」の意。ここでは、変化した白風に対して華艶丸が「しかしこれで検分終了ということには違いない。それが毎度のことだ」と言ったのに対して、影郎が「長い間、化外を見てきているが、それぞれの事例はそれぞれに異なってしかもますますおかしな事例も増える」と喜んで見せた。

尼餓鬼 雪之丞「三年前かの白馬(あおうま)の節会(せちえ)のおおよそ六日前ほどであったか――」
   白馬(あおうま)の節会(せちえ)は平城の代から続く朝廷での年中行事の一つ。青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事による。正月の七日に左右馬寮から白馬を庭に引き出して帝が紫宸殿からこれを謁見、その後で宴を催した。元は青毛の馬を引いたが、醍醐天皇の頃から白馬に変わったという。そのために「白馬」として「あおうま」としている。

尼餓鬼 雪之丞「左馬御監(さまのごげん)立華大将(たちばなのたいしょう)は責を追うて流された」
   左右の馬寮(めりょう)そのものは独立の大寮だが、頭(かみ)以下四等官の上に近衛大将が御監(ごげん)としてこの地位に就き兼任し馬寮を統括した。左馬御監(さまのごげん)の立華が同時に近衛大将であるのはそのため。

尼餓鬼 影郎「実に静けきものじゃ。怯えてはおるが頑なに無言(しじま)を守っておる」
華艶丸「蛤(はまぐり)か」
   蛤(はまぐり)とは二枚貝。両方の殻がぴったりと閉じることから惹かれ合う男女が深く愛し合う様を言った他、指先で少し突いてやっただけでびっくりして殻を閉じることから怯えて黙り込む様や、ぴたりと合った二枚貝の真ん中からにょろりと貝肉が飛び出す様を女陰になぞらえたり、なかなか大きくは開かないことからお堅い女の意味などの喩(たとえ)。ここでは、お堅い女が実に神妙に黙りこくっている、くらいの意味で華艶丸が蛤と言ったが、多分に下品な揶揄を含んでいる。

尼餓鬼 静「生まれは、淀(よど)でございます」
   淀(よど)はみやこの南部、伏見の地名。市内を流れる桂川・加茂川・宇治川の三川の合流地。この淀川沿いの低湿地は淀川水運における京都の外港として古代より繁栄した。

尼餓鬼 静「商家の生まれにございます」
   当時では中世以降に比べると商取引は大変に限定的なものであり、定められた地域で定められた相手に対して商取引を行っていた。ただし生産の余剰はそれほどなく、商人たちが自由に売り買いできる物資はごく限られていた。ここで静が自らの生家とした淀の商家は、おおよそ淀川水運によって河内(現在の大阪)などから京の都へ物資を運搬して流通させる仕事であったと思われる。これらは国によって厳しく統制されたであろう職業で、この任に就いていることは当時では認められた名家であったと言えるであろう。

尼餓鬼 静「その後、近衛将監(このえのしょうげん)蒔平(まきひら)様が円法様に求められ――」
   近衛将監(このえのしょうげん)は少将の下位に当たる役職で、通例は従六位上相当の職であったが、時には五位の者が就いたこともある。五位以上の者には昇殿が許される場合もあった。平安初期の有名な武将である坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)も将監から少将へ昇格し、蝦夷地遠征では征東副使に任じられて以来、長年の武功を積み後に征夷大将軍にまで登り詰めた。

尼餓鬼 華艶丸「おおよそ酒(ささ)も不束(ふつつか)なのだろう。あるいは癖の悪く、疲(だ)り剥(む)くるか?」
  「疲(だ)り剥(む)くる」とは、酔ってだらしなくなり、小言などを言う、あるいは大仰になるなど、酒に飲まれるような様子を指す。またこの意から失態を演じる意味にも使われる。

尼餓鬼 華艶丸「西か。ならば待緒(まつお)は松尾(まつお)」
   松尾(まつお)は京都の西、四条の最西に行き着く桂川河畔の地名。松尾大社は賀茂社と並び都の最も重要な鎮護の要である。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)と市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)。大山咋神は近江の比叡山と山城の松尾山に鎮座し、いずれも鳴鏑(なりかぶら)の神と言われる。鳴鏑は戦の開始を告げるために放つ矢のことで、ひゅるると鳴る。

尼餓鬼 影郎「ほほうぅぅ。比叡天台の沙門(しゃもん)にしては、忠実(まめ)やかなことを言うではないかぁ」
   ここで影郎の言う「忠実(まめ)やか」とは現代語的な意味合いでの忠実ではなく、真面目で真剣であるの意と、現実的で実用的であるある、の意を持つ。影郎は両の意を持つこの言葉で表現して揶揄したのである。

尼餓鬼 静「故(ゆえ)に各地に精舎(しょうじゃ)を成し、民を救済(ぐさい)し、また仏の御心を広く伝え教え――」
静「――この現(うつつ)の人の世を仏法に基づき差し直して改めねばならぬと、そのようにお教えです」
華艶丸「はっ! まるで比叡らしからぬ」
   当時の仏教は小乗仏教的であり、この円法の語るような大乗仏教的な全体救済の性格をさほど持っていたとは言えない。またここで強調される現世主義や貧匪救済の明確な考え方の出現は、史実においては鎌倉期まで待つこととなる。当時の二大宗派の天台宗と真言宗は共に密教であり、その真髄は端的に言うと曼陀羅界を理解しこの世の機微に触れることであったと言える。

尼餓鬼 雪之丞「不要な無体を為(な)すな」
 〜 
華艶丸「言立(ことだ)てすまでもなく」
  「言立て」とは思いや決意をはっきりと口に出して言うこと。転じて宣誓すること。ここでは華艶丸が「無体はせぬ」「壊しはせぬ」とわざわざ誓うまでもないだろうという意味と、ちょうどその逆、「(お前が考えているような結果も)あり得るが、それについては口に出して言うまでもないな?」という皮肉な意味の両方を込めている。言立てには他に、噂になっているような評判をあえてはっきりと口に出すの意もあるため。

尼餓鬼 影郎「左衛門佐(さえもんのすけ)殿よぅ、羅漢灯はさすがに熱かろう。女子(おなご)では肉をも焼かぬ」
  「羅漢灯」は造語。検非異使たちが好んで使う特別な灯火で、その素材には恐らく呪術的なものをも含んでいるのであろう。一度火が灯ると消え難く一際明るく燃えることから、夜の活動には適しているものと思われる。影郎の言によると肉を焼くほどに熱いとか。

尼餓鬼 影郎「餓鬼使いがダリに憑かれ――」
 〜 
雪之丞「ダニ―――みやことて多い」
  「日だる神」あるいは「ダリ」「ダニ」などは、一種の餓鬼憑きを指す。餓死した者が悪霊となり山野に残り、近くを通る者に取り憑く。取り憑かれた者は急激に身体の力が抜け、猛烈に腹が空く。食い物を与えると平癒するとされる。掌に米の字を書くまじないも存在する。なお、雪之丞の言によると、みやこでも多くの餓死者が生じそれらが餓鬼神となっている事実があるようだ。

晴間雨 影郎「華表(かひょう)の裂き拵(こしら)え――」
影郎「――平らに言わば、鳥居を左右二つに割いて、その間に新たな鳥居を拵(こしら)えることじゃ」
   こんなのは実際にはありません。勝手に作りました。ごめんなさい(笑)。

晴間雨 周囲の樹木の、あるものは芽吹きあるものは紅葉(もみ)じ、あるものは茂りあるものはすでに枯れている。
   紅葉(もみじ)は紅葉するを意味する「もみつ(平安初期には濁音化して「もみず」」という動詞の名詞形である。そのためここでは「紅葉じ」として「もみじ」としている。万葉集では「毛美都(もみつ)」と記して木々の葉が色付く様を示した。

晴間雨 ―――半身半眼。真の敵を捉える呪(まじな)いの姿勢である。
  こんなのも実際にはありません。勝手に作りました。重ねてごめんなさい(笑)。

晴間雨 麻奈緒「そも、俺たち足加賀衆は上毛野(かみつけの)は群馬(くるま)の一門」
  上毛野(かみつけの)は上野(こうずけ)の古名。古代には関東平野の北西部を毛野(けぬ)と呼び、渡良瀬川を境に上下に分かって西部を上毛野とした。律令後は「上野国」とする。八一一年には上国から大国となり、八二六年以降は上総(かずさ。古名かみつふさ)や常陸(ひたち)と並んで親王がこの国守の任を与った。群馬(くるま)は上野の郡の一つ。なお、史実における足利氏は下野(しもつけ)足利の出身である。

晴間雨 麻奈緒「律令(りつりょう)の遥か昔からおるのだ。貴様ら山代(やましろ)に封じられたではないぞ」
   ここでいう「封じる」は封じ込めるの意ではなく、その土地を治めるように任命されるの意。「山代(やましろ)に封じられたではない」とは、討伐されて軍門に降りその上で土地を安堵されたのではなく、元からこの場所にいる、との意味である。

晴間雨 雪之丞「『貴様らが山城(やましろ)に』と言うか」
   平安京の存在する畿内・京都の土地を、かつては山代あるいは山背(共に読みはやましろ)と呼んだが、桓武帝による遷都以降は「山城」とされた。ここでは麻奈緒が古名で呼び、雪之丞はそれを当世風に言い換えた。

晴間雨 華艶丸「怨(おん)にも鬼(おん)にも劣りたる」
  「怨(おん)」は怨念(おんねん)怨霊(おんりょう)の「怨(えん)」の字を発音したもので、怨(うら)みの意。この字は、身体を屈めてじっとする、隠れて鬱積する、の形から成る。一方の「鬼(おん)」は鬼(おに)のことで、和名抄(わみょうしょう)によると姿の見えぬものを意味する「隠(おん)」から転じたものとされる。なお、奈良時代にも「鬼」という字こそ使われたものの、怨霊や化け物を一般的に「物(もの)」「醜(しこ)」といい、これらと同様に「鬼」も「もの」「しこ」と読まれた。

晴間雨 華艶丸「蟲豸神(ちゅうちのがみ)は何度見ても慣れぬ」
  「蟲豸神(ちゅうちのがみ)」は影郎の呪法(しゅほう)の一つ。蟲(虫)とは足を持つ生き物のことで、一方の豸(ち)とは足を持たぬ這う生き物のこと。すなわち虫豸とはその総称、虫けらの意。呪法蟲豸神はそれら虫けらから取り出した神、すなわちそれらの魂魄や怨(おん)の類のもののことであろうか。

晴間雨 華艶丸「魂も魄も食われて戻らぬであるまいな」
華艶丸「残るはそれで厄介だが」
   魂は「たましい」、魄もまた「たましい」であるが、「魂」は陽で「魄」は陰である。魂は精神の働きを、魄は肉体の生命を司る活力を指す。また、死ぬと魂は天上に上るが、一方の魄はしばらく地上に残ると言われる。華艶丸は「両方を蟲神に飲み込まれて元に戻らぬでは困るが、(魄が)神を憑かせた霊(りょう)となって残られてもそれも困る」と言った。

晴間雨 翼黒「仙遊寺に怪奇あるを浄滅せよと」
   現在の泉湧寺(せんゆうじ)である。九条大路を東進し賀茂川を渡った東山の山麓にある。つまりは当時の都を出てすぐ南東にあり、伏見とは目と鼻の先。北は清水寺や愛宕寺に近く、都の民の墓所であった。後に泉湧寺として成立し、皇室の菩提寺ともなった。真言宗。

千年巫 影郎「脛衣惑(はばきまとい)も微睡魅(まどろみ)も効をなしておらぬのじゃ。鴆羽涅(ちんばくり)など」
影郎「朱鴆羽(あけちんば)とて同じかろう。今は手元にはないがのぅ」
   どれも毒の名か。脛衣惑(はばきまとい)の脛衣(はばき)は脛(すね)に巻き付けた布や藁のあて布でいわゆる脚絆(きゃはん)、惑(まとい)は字の通り「惑い」の当世読み。字義から取ると足元をふらつかせる、方向感覚を失うような効果があるか。同様に微睡魅(まどろみ)は魅了して眠気を誘うものと思われる。鴆羽涅(ちんばくり)の鴆(ちん)は羽や肉に猛毒を持つとされる鳥の名で、涅(くり)は水底の泥濘あるいはその色のこと、黒(くろ)と同根の言葉。彼らが物忌(ものいみ)と呼んでいる呪具に連ねられる黒染めの羽のことを指すようだ。朱染めのものは朱鴆羽(あけちんば)と呼んでいる。

千年巫 雪之丞「あるいは隠(おん)か、神か」
  「隠(おん)」とは目に見えぬもののことで、これが転じて「鬼(おに)」となった。ここでは雪之丞は怨(おん)ともかけて「鬼」を「おん」と言った。蛇足ながらここで雪之丞の言った「神」は魂魄なり何かの物の内に宿る霊なり程度の意である。

千年巫 華艶丸「――中でも、迷途(めいず)者は苦悶を逃れたらんとなお迷い出(いで)たる」
   華艶丸の言によると、化外(けがい)の中でも成仏せずに現世に残り迷っている者(生き霊なり怨念なり)はさらに苦痛を受けることをことさら嫌って本性を顕(あらわ)すようである。心身への苦を怨んで迷ったのであるから当然といえば当然か。四苦八苦を我が業として受け入れぬ者は成仏できない―――よく知られる釈迦の説法である。

千年巫 華艶丸「氷路よ、お前、真鬼(まことおに)か」
   真の鬼、本当の鬼、ほどの意味。生き霊や残念が次第に鬼と化すのではなく、生まれた時から鬼であること。鬼の子。

千年巫 雪之丞「神子坊の片腕、忘れたか」
   本編には未登場「平神子坊(たいらのみこぼう」のこと。雪之丞や華艶丸らと同じ検非異使佐(けびいしのすけ)の一人であるが、現在は別当の命により西国へ出ていて不在。華艶丸の暴走と神子坊の片腕に何の因果があるかここでは不明。

千年巫 華艶丸「芒草の佐(すけ)殿の於菟(おと)の気が破ったわ」
  「於菟(おと)」は春秋左氏伝・宣公四年に見える楚の言葉で虎の意。当世では虎または猫の異名で、華艶丸が言ったのはその隠喩。

千年巫 華艶丸「比翼(ひよく)連理(れんり)の如くなり」
  「比翼(ひよく)」とは一目一翼にて常に雌雄一体となって飛ぶと言われる空想の鳥。「連理(れんり)」とは一つの木の枝が他の木の枝と相つらなって木目の相通じること。共に男女が仲睦まじいことの喩(たとえ)として言われ、白居易がその作『長恨歌』の中に記したことで有名である。

千年巫 影郎「――地結天結」
  「地結天結(ちけつてんけつ)」とは、仏教(特に密教)で儀式の際に用いる結界の一つ。陰陽道にも同様の考え方・手法が存在する。

千年巫 影郎「天清浄(しょうじょう)地清浄。内外(ないげ)清浄六根(ろっこん)清浄――」
影郎「――心性(しんしょう)清浄(しょうじょう)にしてなお諸々の汚穢(けがれ)不浄あり!」
   影郎の読み上げているのは儀式などに魔が入り込まぬようにする祝詞(のりと)である「清浄祓(しょうじょうのはらひ)」の冒頭であるが、正しくは「天清浄・地清浄・内外清浄・六根清浄・心性清浄にして諸々の汚穢(けがれ)不浄なし」であるところ、影郎は「なお汚穢不浄有り」と結んでいる。

千年巫 雪之丞「俗人察察たり我独り悶悶たりの心持ちや」
  老子・道徳経第二十章。世の人は皆細かいことをよく分かって明晰であるのに、私一人は未だに迷妄暗愚であり苦悩し続けている、の意。ぞくじんさつさつたり、われひとりもんもんたり。

千年巫 氷路「御肇国天皇(はつくにしらすのすめらみこと)」
影郎「崇神(すじん)か。それに始まると言うかゃ?」
   第十代に数えられる天皇。和名を御間城入彦五十瓊殖命(みまきいりひこいにえのみこと)。大物主(おおものぬし)神をはじめとする諸々の国津神(くにつかみ)を祭り、伊勢神宮の創始に関係したとされる。天皇と同一視された天照大神(あまてらすおおかみ)を豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して宮廷の外に移し、神人分離の基を作った。豊鍬入姫は伊勢神宮の初代斎宮(さいぐう)である。この天皇を以ってして、神人同一の思想から、帝は神を祭りこの化身として治めるとの思想への転換と見る(ただし実際にはこのような王権の成立はもっと後であり、崇神を以ってしてこの転換とするのは一種の伝説的なものではないか)。

千年巫 影郎「では子の垂仁(すいにん)か」
   第十一代天皇。活目入彦五十狭茅(いくめいりひこいさち)命。崇神天皇の子であると言われるが、一説には丹波系王国の王にして、大和王国を併合し継いだと言われる。殉死を禁止し、埴輪を起源したと伝承される。着目すべきは、その治政が九十九年に及んだことである。

千年巫 影郎「共にいりひこ」
   第十代の崇神天皇とその子で第十一代の垂仁天皇は、共にイリヒコの名を持つ。しかし、イリヒコ皇統と呼ばれる入彦(いりひこ)と入姫(いりよめ)の名を持つ22名の内、親子関係にないものが七組ほど散見できることから、崇神と垂仁もイリヒコの名を共有することによって実父子であったとは言い切れない。イリヒコの意味するものは現在もなお不明であるが、何らかの尊称あるいは特質を指す言葉ではないかと考えられる。

千年巫 華艶丸「きな臭い上世(かみつよ)の話だな」
雪之丞「我らの関わるべきことではない」
   記紀(古事記および日本書紀)においては、皇統は連綿と続く万世一系であるとの思想に基づき、代々の天皇は全てが親子であるとされているが、実際のところは多くの王国および外来の家系が入り乱れるものであると考えられる。万世一系の考え方は現在の帝の威信にも関わる問題であるが、雪之丞はここではそのようなもの(=本当に万世一系であるか否かの議論)に関わっても栓方ない、と言った。

千年巫 「時の宮中に、紫式部、清少納言らの聞こえよく、」
「みやこの人ども、いよいよそめやかなるにあり。」
   物語本編の「時の」とは西暦九九九年(長保元年)の前後である。時の天皇は一条天皇だが、一条帝は即位(寛和元年・九八六)からその後、実に五度(即位を含めると六度。永延(九八七)永祚(九八九)正暦(九九〇)長徳(九九五)長保(九九九))改元している。一条天皇の一人目の皇后・定子が死んだのが一〇〇〇年であり、清少納言はこの定子に仕えたが定子の死後以降は一切の宮仕えをせず『枕草子』執筆に情熱を傾けた。九九八年に帰京し結婚した紫式部は翌九九九年に子を授かるが一〇〇一年には夫を亡くし、同年には『源氏物語』の執筆を始めた。また紫式部は一条天皇の二人目の皇后・彰子に仕えた。さらに一条天皇自身は一帝二后の例(これ以前に帝が二人の皇后を置いたことはない。一人目・定子の死は先述の通り一〇〇〇年)を開いた初めの天皇であり、才学に富み政治にも意欲を示した名君とされ、平安期最大の摂政にして大藤原の祖とされる藤原道長を内覧の大臣としながらも協調を保った。この意味から、一条天皇の治政中に最も事件の多くまた最も華々しい文化と政治が完成された時期として九九九年ないし一〇〇〇年を見てもよかろう。



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